佐賀県唐津市の「肥前名護屋城跡」へ行ってきました。
豊臣秀吉が晩年に大陸への出兵拠点とした場所で、戦国時代のオールスターが集結した歴史好きにはたまらない場所ですよ。普通のお城とはひと味違う、名護屋城へのアクセス方法や見どころをご紹介します。
名護屋城へのアクセス方法や料金について
〒847-0401
佐賀県唐津市鎮西町名護屋1938?3
唐津市の中心部から国道204号を通って、30分ほどで名護屋城跡へ到着します。
駐車場は無料で利用できて、売店とトイレもあります。城跡へ入るとトイレがないので、先に済ませておくのをおすすめします。
名護屋城観光の料金は?
城跡への入場料金は無料ですが、大学生以上の大人のみ任意で100円支払いました。これは城跡の清掃などの維持協力費で、入り口の観光案内所で支払います。城跡の見学は年中無休で、自由に散策できますよ。
名護屋城観光の所要時間は?
かなり広いので、さらっと見て回るだけでも軽く1時間はかかります。じっくりと見て回るなら、2時間ほどを見込んでおいたほうがいいです。
観光の前に知っておきたい、名護屋城のかんたんな歴史
肥前名護屋城は、豊臣秀吉の大陸への出兵拠点となったお城です。1592年から7年間、全国から有名な戦国武将をはじめとする20万人以上の人々がここに集まったといわれています。
城下町も形成され、城下町は10万人ほどの人口でした。
当時は大阪城に次ぐ規模の、かなり大きなお城でした。およそ半年間という急ピッチで築城されたにも関わらず、この広大なお城が完成したことや、20万人もの人をここに集めたことから、豊臣秀吉の権力の強さがうかがえますよね。
秀吉の死後は廃城となり、解体された名護屋城の資材は秀吉の家臣である寺沢広高が唐津城へ移築して、大手門は伊達政宗によって仙台城へ移築されたといわれています。名護屋城の資材が使われた唐津城も、車で20分ほどのところにありますよ。
唐津城についてはこちら
名護屋城は、陣跡とともに国の特別史跡に指定されています。
名護屋城観光の見どころは?
名護屋城には現在は天守閣はなくて、城跡が公園として残っています。一般的な天守閣のあるお城をイメージすると、「思っていたのと違うな…」となるかもしれません。
愛知県名古屋市にある「名古屋城」と名前が似ているのでちょっとややこしいですが、まったく関係のない別のお城で、こちらの名護屋城のほうが先にできました。
玄界灘が見渡せる、絶景スポット!
名護屋城は小高い山の上にあるので、玄界灘や唐津の街並みが見渡せます。晴れていれば対馬まで見渡せる、絶景スポットですよ。天下人気分で景色を楽しめます。
かつてのお城の姿をイメージする
石垣や井戸の跡、二の丸、三の丸、本丸跡などが見て回れます。石垣はところどころ崩れていますが、自然に崩れたのではなく、1615年の「一国一城制度」によって崩されてしまいました。立派な石垣なのにもったいないですよね。
歩いてみるとわかる、名護屋城の広さ
城跡の内部はかなり広くて、見て回るだけでもかなりの時間がかかります。足もとは基本的に草むらか砂利道なので、歩きやすい靴で行くのをおすすめします。
順路の表示がちょっとわかりにくくて、迷いましたが広いうえに観光客も少なかったので、ゆっくりじっくり観光できました。
夏場はおすすめできません…
いったん城跡内に入ると日陰になるところがほとんどないので、夏場はおすすめできません。5月に行きましたが、すでに暑くてきつかったです。
しかも、中には自動販売機などがないので、事前に飲み物を調達しておいてくださいね。春や秋の気候がいいときが、名護屋城観光のベストシーズンです!(笑)
ほかにもあります♪
名護屋城周辺の陣跡とは?
名古屋城の近くには、有名な戦国武将が陣をはった「陣跡」があります。何気なく見上げた信号機に、交差点の名前として「伊達政宗陣跡」ってあったりします。
名護屋城でもらえるパンフレットに陣跡の地図があるので、近くの陣跡をめぐってみるのもいいですね。
島津義弘、徳川家康、前田利家などなど、歴史にそれほどくわしくなくても知っている名前がずらっとあります。まさに戦国時代のオールスターが勢ぞろい!
陣跡は、名護屋城周辺の広範囲に広がっていますよ。
まとめ
名護屋城は「城跡」なので、お城と聞いてイメージする天守閣を期待して行くとがっかりするかもしれませんが、戦国時代の歴史の舞台となった重要な場所です。城跡のとなりには「名古屋城歴史博物館」もあります。陣跡巡りと合わせて、歴史好きにはおすすめのスポットですよ。